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武中 里美さん

今回紹介する移住者

武中 里美さん
鳥羽市答志町在住。現在、鳥羽市社会福祉協議会に勤務している。
岐阜県坂祝町(さかほぎちょう)出身。結婚を契機に平成7年に鳥羽市に移住する。

Q.はじめて鳥羽を訪れたときは?

実家のある地名が「答志」と聞いていたが、それが離島だとは思いませんでした。車を降りていきなり船に乗ろうとしたからビックリ!
実家には、スーパーもあれば、コンビニ、病院も近くにあるし、それが車を本土側にとめて、信号も無いような場所だったので、何もかもが新鮮でした。家と家が連なり密集していて、みんなが声をかけてくれます。島の人達がとにかく純粋で、素敵なんです。島に行ってみて住みたいと思いました。海が綺麗で、時間がとまっているような感じなんです。昭和初期を偲ぶような雰囲気です。

Q.嫁入りすると決めたときのご両親の反応は?

大反対!
夫の両親との同居で、お爺ちゃんたちも居るから4世代の生活になるので・・・。同居して苦労させたくないというのが理由でした。
父とも喧嘩をしました。父としては婿をもらって、一緒に居たかったと言っていました。

Q.答志島の生活はいかがですか?

島のみんなに色々と助けていただきました。周りの助けを本当にありがたく感じています。
私がこうして働かせていただいているのも、お義母さんの存在があってのこそ。毎朝、島を出て本土側で仕事をして、定期船の最終便で帰ってくる生活なんで、家事はお義母に頼りっきりです。
子どもたちがいたずらをしていると、近所のおばあちゃん達がキチンと叱ってくれます。島のみんなが我が子を見てくれる、そんなところです。都会では絶対にありえないです。

Q.答志島の魅力は?

人と人のつながり、関わりが魅力です。信頼関係が強い地域です。
誰に対してもあいさつをする町なんです。玄関先で魚をさばいているところを観光客が通りかかり、「美味しそうですね。」なんて言葉をかけられたら、刺身にして食べさせてあげるような地域です。
私も、観光客に「あそこまで行きたいのに移動手段が無いんです。」と声をかけられたら、自分の車で連れて行きます。そんなことが当たり前になっている島なんです。

Q.移住する際に苦労したことは?

今でもそうですが、船が苦手(怖い)ということです。毎日、定期船で本土側に通っていますが、波の関係で揺れが酷いときには手を合わせて祈っています。
夫の船に一緒に乗って漁を手伝っていた時もあったのですが、全然慣れなかったです(笑)
あと、島ならではですが、定期船のダイヤがあるので何をするにも、それを気にしながら用事を済ませなければいけないことが大変かな。時間をいつも逆算して予定を考えています。
また、子どもが本土側に通って、レスリングと柔道を習っているんですが、定期船運賃も毎回かかるので家計的に大変なんです。

Q.鳥羽市への移住を考えている人に一言

とにかく一度来てみて欲しい。一回来ると素敵なまちだと直ぐに分かる。都会の生活に疲れた人には特におススメかな。
仕事をする女性でも、両親や地域の人が子どもをみてくれるので産休の心配も、保育所の心配もありません。女性にとっては、子育ては安心なところですよ。休日も家の掃除をして、散歩して、海を見て癒される。直ぐに沢山人が集まっちゃいますけどね・・・(笑)
とにかく凄く良い人ばかり、住めば都ですよ。

里美さん
里美さん
本土側で働いている障がい者福祉センター「ゆめぱーる」前にて
ちなみに鳥羽市は、御木本幸吉が世界で始めて真珠養殖に成功したところなんです!
答志町のまち並み
答志町のまち並み
家と家が連なり、世古(せこ)と呼ばれる細い路地が複雑に入り組んでいます♪
住所鳥羽市答志町
移住年月1995年7月