「自分たちでもできる」名古屋から移住。会社員から夫婦でみかん農家を目指す西岡さんご夫婦の移住就農ストーリー
2024/6/27
本州最南端のほど近く、三重県南部の人口約8,000人の小さなまち、御浜町は「年中みかんのとれるまち」として知られている。
近年、産地の未来を担う新規就農者の確保に力を入れ始め、「持続可能な産地」を目指して、全国からみかん農家の担い手を受け入れている。
みかん畑が町を彩る
ー「やったらええやん」の言葉に背中を押されて
「2022年の7月に三重県津市で開催された就農フェアに参加して、8月の連休に農業体験に来たんです」と話す西岡宏展(ひろのぶ)、長閑(のどか)さん夫婦。
それから数ヶ月後の2023年3月、2人は会社員を辞めて名古屋から移住。4月からサポートリーダー農家の下で夫婦二人三脚、1年間(2024年3月末まで)の新規就農研修を行なっている。
「三重県の就農サポートリーダー制度」とは?
就農希望者に対して、技術の習得のための実務研修や、就農等に必要な農地の確保など、地域と連携して総合的にサポートする農業者(農家)の登録制度で、登録した農業者が研修生などの受け入れを行っている。
初めての農業体験から、二人の人生の歯車が急激に動き出した。
「農業体験を受け入れてくださったサポートリーダーの農家さんから『やったらええやん』、『みかんで、ちゃんと生活できるで』と言われて、『自分たちでもできる』かなと感じました」
御浜町の就農サポートリーダーの農家の方々
当時、夫・宏展さんは、名古屋の商社に営業職として勤務し、妻・長閑さんは、名古屋の大学病院で言語聴覚士として働いていた。
宏展さんは、移住を考え始めたキッカケを教えてくれた。
「50歳を目の前にして、『定年後の働き方や生活の質』などを奥さんと話をするようになり、そんな中で、長く体を動かしながらできる仕事は何かと考えていました」
妻・長閑さんも同じように、
「50歳を前に、ライスタイルを変えたくなって、移住、転職などを考え始め、たまたま知り合いが熊野に移住していたので、経験者に話を聞きに来ました」
その際に、御浜町に宿泊し、「年中みかんのとれるまち」と親しまれていることを知り、町の特産品である 「みかん」を意識し始めた。
最初に訪れたときの御浜町の印象はと尋ねると、
「もう、とにかく海が綺麗で、振り返れば山があって、鳥が鳴いていて、自分たちが住んでいた名古屋とは全く違う環境だったので、印象はすごくよかったです」
2人が、定年後も体を動かしながら長くできる「仕事=農業」 、「新しいライフスタイル=田舎暮らし」という結論に辿り着くまで、さほど、時間は掛からなかったそうだ。
「田舎暮らしに興味もありましたし、前職が工業系で、『ものづくり』に以前から興味があって、 『農業』 のような自然のものを作る仕事にも興味を持っていました」
と宏展さんは語り、長閑さんははじけるような笑顔でこう教えてくれた。
「とにかく、ストレスフリーで、毎日楽しいです。やったことのないことをやることが、毎日楽しいですね」
ーSNSで情報収集→就農フェア→農業体験→移住→研修へ
「御浜町のYouTubeチャンネルの動画を見ていて、こういう場所で生活したら楽しいだろうなとか、こういう場所で働けたら、仕事は大変だろうけど、充実した生活を送れるだろうな、というイメージが、移住前から出来ていました。
奥さんがフォローしていた御浜町のX(旧Twitter )で、2022年7月に三重県津市で開催される就農フェアに御浜町が出展することを目にして、夫婦で参加することにしました」
長閑さんは、X、YouTube、御浜町のWebサイト 「青を編む」なども頻繁にチェックしていた。
「Webサイトの 『みかん、やったらええやん』のページで、どれくらいの面積で、どれくらいの収入が得られるかなどの具体的な情報も目にしていて、なんとなくのイメージはできてました」
「御浜町のブースに立ち寄らせてもらって、生活や収入などの具体的な話をお聞きして、『みかん農家』 をやるイメージが出来てきました」
その後、2人は2022年8月、10月と1泊2日の2度の農業体験を経て、御浜町への移住と就農を決意し、2023年4月から1年間の新規就農研修を受けることに決めた。
「あんまりストーリー性はないかもしれないですけど、なんとなく、SNSなどを見ながら、御浜町なんだろうな、御浜町で『みかん農家』なんだろうなというのが、2人の中ではありました」
長閑さんはこうも付け加えてくれた。
「もう、就農フェアの時からワクワクしてました。早く4月にならないかなとワクワクしてました」
御浜町役場農林水産課の担当者と。移住後も困ったことは相談できる関係だ
「『みかん、やったらええやん』て言いっぱなしではなくて、『私たちがやるって言うのであれば、町が全力でサポートします』という思いが伝わって、それだったら、自分たちも『やったらええやん』で御浜町にお世話になっていいのかなと。
最初の農業体験を終えた頃から、もうそういう気持ちになって、じゃあいつ会社に退職を伝えるのか、2人で相談していました」
都会でのキャリア、人脈、便利な生活は、移住によって失われてしまうものは多いが、それでも御浜町に移住することを選んだ背景はなんだろうか?