御浜町から日本一のエアープランツ農家に。愛知県からUターン移住した芝崎さんの移住ストーリー
2023/11/2
キセログラフィカ、ドゥラティ、イオナンタ イオナンタ……
一体、なんの魔法の呪文……?
実は全て、エアープランツと呼ばれる植物の品種名だ。
三重県御浜町・尾呂志地区。山間部の集落に広がる田園風景は、どこか懐かしい気持ちを呼び起こす。そんなごく普通の田舎の風景の中に、めずらしい作物を手掛ける、一風変わった農家がいる。
芝崎 裕也(しばさき ひろや)さん(61歳)は、御浜町尾呂志で生まれ育ち、エアープランツ栽培を手掛ける「南紀グリーンハウス」を経営して26年。今回のインタビューのために、まるで展示会の様に飾りつけたエアープランツと共に、温かく迎えてくれた。
ー不思議な植物、エアープランツ
エアープランツとは、空気中の水分を取り込んで育つ植物。近年、観葉植物と共にインテリアとして人気を集めている。パイナップル科の着生植物で、原産地はグアテマラなどの中南米諸国。
普通、植物は土に根を張り、土の中の水分や養分を吸って成長するが、エアープランツは土が不要で、樹木や岩などに着生して成長していく。太陽が沈むと、葉っぱの中にある気孔(穴)を開いて空気中の水分を取り込んで成長する、ちょっと不思議な植物だ。
―農業の英才教育を受けて育つ
小学生の頃から、父母に連れられて田んぼへ足を運び、農作業を手伝っていた芝崎さんは、実はアメリカ帰りという経歴を持つ。
高校卒業後、三重県の農業大学校へ入学。そこでアメリカの研修制度があることを知り、覚悟を決めて2年間、アリゾナ州のサンキストの関連農場で柑橘を専門とした研修を受けた。同時に、カリフォルニアの大学で専門分野も学んだ。
「アメリカへ行く前と後の人生観や農業に対する考え方は、180度ガラッと変わりました。現地では日本の学校で習ってきたものを完全に否定されて。日本ではなかなかマネできない規模のアメリカのダイナミックさ、全てに圧倒されました。農業のあり方が大規模であろうが小規模だろうが、儲かるキーワードはたくさんあるんだということを学びました。実体験を通して、教科書にはない応用問題ばかりを紐解いていくような農業体験でした。それが今も活きています」
ービジネスとは何たるか、を学んだ営業マン時代
アメリカから帰国後、日本にいた先輩から「新しい貿易会社を作るから手伝ってほしい」と声を掛けられ、入社を決意。若い社員たちが大勢いるような、大きな商社―わくわくとイメージを膨らませて訪れたオフィスは、学生アパートの一室。そこにいたのは社長と所長の2人だけで、芝崎さんはなんと最初の社員だった。この一室から、怒涛の営業マン時代が幕を開けた。
「社長から『スーパーマンになってほしい』と言われました(苦笑)。園芸商社だったので、全国の花の農家と一緒に仕事をして、最初3人だった会社が、300人近くの大きな会社になりました。シクラメンの種やバイオの苗、蘭など1,800種類以上の植物を扱っていて、営業範囲も北海道から沖縄と全国規模でした」
アメリカで培ったチャレンジ精神と、タフな身体。帰国後、「なんとかなる」という自信だけはあったという。ところが、実際に仕事をし始めると、そこには勢いだけでは「なんとかならない」世界があった。
「柑橘から花(園芸商品)だったので、同じ植物だろうと思ってたら、大間違いでちんぷんかんぷん(苦笑)。自分の能力の無さに頭を打ちました。それから必死に勉強して、半年で園芸業界のことを学びました」
社長と近い距離で仕事をすることで、経営的な視点も学んだ。泥臭い努力を重ねながら、飛ぶ鳥を落とす勢いで販売し続けた。「芝崎の通った後には、草も生えていない(根こそぎ注文を取っていってしまうから)」と名が立つほど、スーパー営業マンとして11年間、腕をふるった。
ー故郷・御浜町へUターン後の起業と試練
営業マン時代を終え、御浜町にUターン移住したのは今から26年前。前職のつながりから観葉植物を扱う予定で「南紀グリーンハウス」を開業。ところが、開業後に御浜町は植物運送のトラックが来ない、集荷難民地域であることが判明する。
「観葉植物は全国的にブームで、インドアプランツの生産者は全国に約6,000人ほどいますが、その中で第一号の集荷難民の認定を受けた人が僕です。田舎すぎて集荷に来てくれない(笑)。そんな環境下で、全国に送れるものがエアープランツしかなかったんです。」
持ち前の機転の良さで、取り扱う植物を変更。エアープランツの発送は、大手運送会社2社の宅急便を使って出荷出来ることになり、一安心だった。
ところが、さらに大きな試練が待ち受けていた。できたばかりのハウス内が南米から輸入したエアープランツで満室になった頃、芝崎さんに脳腫瘍の疑いが発覚したのだ。