柑橘栽培の省力化に取り組み、持続可能な農業を目指すみかん農家尾畑太企弘さんの移住ストーリー
2023/10/29
「収穫期間中でも、半日の収穫作業で余裕を持って終われます。6反(60アール)くらいありますが残業もないですし。たぶん産地内で誰もいないと思います。今は、周りの人が驚くくらい効率良くやれてると自負してます」
御浜町の温州みかんの代名詞「味1号(超極早生温州みかん)」は、全国トップクラスの早さで収穫期を迎える。露地栽培の一番手で出荷期間が2週間程度と特に短く、本来ならば余裕を持った収穫作業など至難の業だ。
驚きの収穫期を過ごすみかん農家、尾畑太企弘(おばた・たきひろ)さん(43歳)。奥さん、子どもたちと家族で御浜町へUターン移住し、みかん農家となって13年目になる。
祖父の代から続くみかん農家で、町内でも初期に味1号を栽培し始めた畑を引き継ぎ、独自の“工夫と改善”でみかん作りを進化させ続けている。
畑は全体でおよそ2ヘクタール。味1号(超極早生温州みかん)のほか極早生温州みかん、マイヤーレモン、麗紅(れいこう)、カラなどを栽培。普段は尾畑さん夫婦とご両親の4人を中心に、収穫期にはみかんの採り手2人が加わり作業をしている。
ー青くても甘いみかん「味1号(超極早生温州みかん)」
「味1号(超極早生温州みかん)」とはJAの商標で品種はみえ紀南1号。みえ紀南1号は御浜町で生まれた﨑久保早生(さきくぼわせ)と生産のほとんどが御浜町という中晩柑類(ちゅうばんかんるい)のサマーフレッシュの掛け合わせ。御浜町で生まれた9月中旬に収穫が始まる青切りみかんで、「青いけれど甘い」と言われ市場でも人気が高い。
従来の極早生温州よりも商品力があり価格も高い。収穫期が早いので他産地のみかんが出回る前に出荷が始まり、つまり収入も早い。花が咲いてから4か月で収穫できて、台風などのリスクが少ない上に味の評価も高いなど、作り手にとって魅力が多い柑橘だ。「味1号(超極早生温州みかん)」は、御浜町の温暖多雨な気候と水はけの良いれき質の土壌が生み出した、新しい御浜町のみかんの代名詞だ。
そして、その中でも糖度10以上、酸度1.19以下(2022年度)、外観の美しさなど厳しい基準を満たしたものだけが、三重ブランド一番乗りのみかん「みえの一番星」として販売される。甘み・酸味はその年の気候に左右されるものだが、JAに出荷される中から基準をクリアするのはここ数年は全体の3割程度だという。
その中で、尾畑さんは、出荷する味1号(超極早生温州みかん)の約半分が「みえの一番星」と認められる優秀な作り手となっている。
そんな尾畑さんもUターン当初は農業初心者。ゼロからのスタートだった。
ー1回バカになって言われた通りやってみる
尾畑さんが御浜町で過ごしたのは、実は中学3年生から高校卒業までの短い期間。卒業後、御浜町を出て進学し新潟県の会社に勤めていた。もともとUターンを考えていたわけではなかったが、子どもを持つようになり考えが変化してきた。自身が長男ということもあり、一番上のお子さんが小学校に上がるのに合わせて御浜町にUターン移住した。
そこにはみかん畑があり、祖父も父もみかん農家だった。
「御浜町でやるならば農業、みかん作りしか考えられなかった」
当初は経済面でも生活環境や人間関係でも不安なことが当たり前、「考え過ぎず、やるしかない」とがむしゃらだった。
今の主力となっている味1号(超極早生温州みかん)とマイヤーレモンも、当時は苗木を植えてから4年程度とまだ樹が小さく、収量も多くなかった(柑橘類は苗木が育って収量が上がるのに約10年かかる)。その状況でいかに収入を上げていくかを考え、JAに出荷できないものなどは友人や親戚に直接販売した。そこで味や出来に対する感想を聞き取り翌年の栽培に活かしていった。
その時に出来ることを一つ一つ積み重ねて工夫を続け、植えた苗木が育って収量・収入の見通しが立つのに、3~4年はかかったという。
いろいろな農家の先輩から声が掛かってお酒の席に呼ばれたり、JAの部会などで知り合いも増えて、同年代の農家仲間とも打ち解けていった。先輩には薬剤やマルチの敷き方など様々な話を自分から積極的に聞きに行き、みかん作りについて教わった。教えてもらったことは自身の畑で採用し、試行錯誤してきた。
先輩の話を聞く際のポイントは「難しいんですけど、“1回バカになって言われた通りやってみる”」ことだそう。
「私も全くゼロから始めているのに、やっぱりどこかに我があるんですよ。なかなか素直に聞き入れられなかったこともあったんですけど、ひとまずは聞き入れてみる方が前進しやすいのかなと思います」と、尾畑さんはこの姿勢を今も変わらずに持ち続けている。