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移住体験談

会社員から、みかん農家になった仲井照清さんのストーリー

2023/4/11

 

AM4時半。とあるみかん農家の1日が始まる。

当然、夜明け前なので辺りは真っ暗だ。

 

朝ぼらけの中、家からほど近い七里御浜海岸で趣味の釣りを楽しむ。

AM7時 帰宅。前日採ったみかんを選果し、農協へ持ち込む。そこからは、収穫作業に没頭する。

 

仲井 照清(なかい てるきよ)さん、52歳。奈良県生まれで、大阪から三重県御浜町へ移住して7年半。

会社員からみかん農家になった現在、収穫時期以外は一人で約8反(0.8ヘクタール)のみかん畑を手掛けている。

 

ー御浜のみかんのファンから作り手へ

なんと、学生時代に御浜のみかんと運命の出会いを果たしていたという仲井さん。

「高校・大学時代に大阪の青果市場でアルバイトをしていた当時、熊野・南紀のみかんが入ってきてて。そのあと御浜町には釣りでよく遊びに来ていて、いつも帰りにみかんを買って帰ることが多かったので、こっちのみかんは美味しいっていうイメージが頭の中に焼きついていました」

御浜みかんのファンだった頃から、20年の歳月を経て、作り手になった。

御浜町へ来る前は、物流業界で働いていた仲井さん。就農した背景には、独自の「ライフプラン」があったという。

「20年間学生をして、そのあと20年間サラリーマンをやってまして。その次の20年何をするかと考えた時に、サラリーマンを続けるか、全く違うことをするか。その時ちょうど前職の会社が早期退職を募っていたので、思い切って手を挙げました。仕事を辞めて何をするかと考えた時に、同じサラリーマンをするのであれば前職を続けるに越したことはない。そこで、全く違う第一次産業を手掛けてみたいと思いました。元々みかんが好きで、『とりあえず果樹をやってみたいな』と思ったのが始まりですね」

なんとなく、農作物を作ってみたい。その「なんとなく」の先に見えた微かな光に手を伸ばし、ここでの暮らしを手に入れた。

 

ー産地ならではの手厚い就農支援

第一次産業には農業はもちろん、畜産業、漁業なども含まれる。

その中でなぜ、「農業」そして「御浜町でみかん」だったのだろうか?

「就農フェアで御浜町の担当の方と話をする機会があって。そこでみかんを作ってみないか?と誘われまして、まず体験で一泊二日で御浜町に行きました。既存の農家さんと同じようにIターンで来られた方の所に行って、みかんの作業と、実際の生活の流れを聞かせてもらって。その後いざ、住む家が決まれば1年間の研修スタートという流れでした」

御浜町では、就農ステップとして、みかん農家の元で1~2年間研修を受けることのできる制度が用意されている。そのため、農業未経験でも先輩から指導を受けながら、栽培技術や販路などについて学ぶことができる。みかんの産地ならではの、手厚い受け入れ態勢だ。

独立するための開業資金として、*最大750万円、あるいは12.5万円/月の補助を受けることができる。(※補助を受けるには一定の条件を満たす必要があります。詳しくはこちらから)

みかんは他の農作物と違って、栽培に必要な設備への初期投資が少ない。農地さえあれば、軽トラと動力噴霧器(主に消毒作業に使う機械)、最低限この2つさえあれば始められるという人もいる。農業のはじめの一歩を踏み出す人にとっては、大きなメリットだ。

 

ー力まずに、みかん作りをする

脱サラをして、農業の世界へ。一人でみかん農家として生計を立てていくことは相当なプレッシャーがあったのではと思いきや、意外にも仲井さんからは気の張らない言葉が返ってきた。

「みかん作りってしんどい時もあるんですけど、僕の中では半分趣味と思ってるんで(笑)。始めた頃からそこまで苦を感じたことがない。目標とかは掲げず、肩の力を抜いて気楽にやれればなぁと思ってます。1年に1回の作物なんで色んな気づきがあって、毎年味が多少なりとも違ってくるし。トライアンドエラーじゃないですけど、こうなったらどうなるやろ?そういうのが楽しみでもありますね」

そう、さらりと話す仲井さんだが、意識せずとも「いいみかんを作る」という目標を立てて、コツコツと努力を重ねている人なのだろう。1年の中で1番モチベーションが上がる時期は、9~10月の「味1号(超極早生温州みかん)」を収穫する時だという。手塩にかけて育てたみかんを採り、コンテナに入れていく。自分の作ったみかんが市場で評価され、満足のいく収入を得られると励みになるそうだ。

 

 

>>仲井さんの就農移住ストーリー、続きはこちらから<<

 

 

住所

三重県御浜町
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