移住体験談
志摩市
【第3回/全10回】三重暮らし魅力発信リレー動画「わたしたち三重で暮らしています」を配信中!(志摩市・伊藤敏宏さん)
2021/2/15
三重県への移住を考えている方に三重での暮らしを知ってもらうための全10回のリレー動画「わたしたち三重で暮らしています」を配信中!
第3回は志摩市浜島町へ移住し、いちご農家として働く「伊藤敏宏」さん。
動画はこちら
https://youtu.be/fgs4QNB2MpY
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伊藤敏宏さん【志摩市浜島町】
志摩市浜島町は、波静かな英虞湾と黒潮おどる太平洋に囲まれた漁師町です。温暖な気候により、特産品の南張メロンなども育ちます。大阪で食品会社のサラリーマンをしていた伊藤敏宏さんは、浜島に引っ越し、海水浴場から徒歩3分のところにマイホームを築きました。大学時代に経験したアルバイトから、いずれは農業がやりたいと考えていた伊藤さんは、幼い頃から大好きだったイチゴの農家を営んでいます。
イチゴを育てて11年目の伊藤さん。サラリーマンを辞めた後に三重県の農業大学校で1年間、イチゴの栽培を学びました。「野菜コースとして入ったんですが専門的にイチゴを勉強し、2か月近くの農家実習では、いろんなイチゴ農家さんに会いました。基本的には一緒のようですが、それぞれ作業に対する考え方ややり方は違いますね。」と振り返ります。就農するときの農地は、そのときに知り合った農家さんから紹介してもらいました。ハウスは1反(1,000平米)で、およそ8,500本のイチゴが植わってますが、当初から広さも本数も変わらず、作業は一人で行っています。これだけの面積をたった一人で管理するのは大変ですが、全てを自分だけでやる決意をもって就農しました。
農業の仕事は、日照不足や低温、多雨など気象状況によってその都度、水やりや寒さ対策などの対応が必要です。異常が現れてから対処するのでは遅く、日頃からしっかりと観察することも重要です。また台風や豪雨など自然災害により被害が発生する可能性もあり、ハウスのビニールが飛ばされたこともあります。それでも「海や山が近くにある素晴らしい景色は自然の一部。うまいこと付き合っていかなければいかんなと思っています。」と伊藤さん。
イチゴの収穫のピーク時は、朝3時ごろには収穫しはじめ、パック詰めして、朝8時までに配達にまわるという生活です。産直市場にも出荷し、その配達後、個人のお客さんをまわります。「甘かったよ」「美味しかったよ」の一言が励みとなり「顔の見える仕事をさせてもらっています。イチゴは味の評価がわかりやすい作物。お客さんは馴染みの方が多く、ダイレクトな反応をもらえますね。」と、自分の育てたイチゴを地元で食べてもらいたいという思いを実現しています。
大阪で約10年、食品会社のサラリーマンをしていた伊藤さん。移住の決め手となったのは、子育ての環境です。「サラリーマンで残業も多く、妻も仕事が忙しかったので、お互いに帰ってくるのが夜中といった状況では、とても子育てなんてできないと思いました。都会はうるさすぎますしね。」と伊藤さん。1日中アスファルトを歩き、自然といえば街路樹くらい、車と電車の音が耳障りに感じることもあったようです。夫婦揃って大好きな海のそばがいいと、妻・喜代子さんの実家があり、静かで自然が豊かな志摩市浜島町に移住を決めました。
伊藤さんの実家である大阪からは近鉄電車で1本、帰省するにも便利です。サラリーマン時代の上司には、移住・田舎暮らしは定年退職してからでいいと言われたこともあったようですが、自分の人生、理想通りに生きたいと、30歳を過ぎて決断。「大阪での仕事はストレスもあって辛そうでした。好きなことが出来るなら、それでいいかなって。子どもがいることを思うと、ここでの暮らしがベスト。」と喜代子さんは感じています。伊藤さんは、あらゆることに自分で責任を持つ農業に仕事の原点を感じ、「自然の中で伸び伸びと、子どもがいろんな経験をしながら大きくなっていくことが一番良かったことですね。」と、自然に囲まれて家族と共に過ごす今の暮らしに満足しています。
伊藤敏宏さん
1997年4月 大阪で食品会社に就職
2007年10月 10年間勤めた食品会社を退職
2008年3月 志摩市浜島町に移住
2008年4月 三重県農業大学校で1年間イチゴの栽培方法を学ぶ
2009年4月 イチゴ栽培開始
住所 |
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志摩市 |