ウェルビーイングな暮らしを求めて。横浜から家族で移住してみかん農家になった福田さんの移住ストーリー
2024/5/27
三重県南部、人口約8,000人の小さな町、御浜町は「年中みかんのとれるまち」として知られている。
本州最南端に近く、温暖多雨な気候と柑橘栽培に適した礫質(れきしつ)の土壌を活かし、年間を通して様々な種類の柑橘栽培が盛んな町だ。
近年、三重県御浜町は「持続可能なみかんの産地」を目指し、日本中からみかん農家の担い手を受け入れている。
Well-being(ウェルビーイング)とは?
神奈川県横浜市出身の44歳、福田大輔(ふくだ だいすけ)さん。
横浜から三重県に家族で移住して8年目、御浜町でみかん農家となって4年目。
「色んなことをやってきましたね。イタリアンの厨房で働いたこともありますし。ずっと悩んできた気がしますね」
SDGs(持続可能な開発目標)にも記載され注目されている概念「Well-being(ウェルビーイング)」
それは、簡単に言うと、「心と体が健康であること」そして、同時に「社会的にも健康であること」
「僕の場合は『夢中になれるもの』と『仕事』って考えた時に、自分には農業が合ってたんだと思います。作業中にふと顔を上げた時に、目の前にある風景を見て、『良かったなぁ。今までの生活から抜け出して、今の生活になって良かったな』って、いまだに思いますね」
農家になって今までの人生になかった幸せを手に入れた。
自然の中で働き、作ったものが誰かを笑顔にして、その笑顔で自分も幸せに。そして、人口減少が続く小さな町だからこそ、誰ともとって変わることのできない、『自分自身(福田大輔)』を求められる幸せを知った。
20代前半は、サーフィンに夢中になり、アルバイトでお金を貯めては海外でサーフィン三昧、帰ってきてはまたお金を貯めるような生活をしていたという福田さん。
「いい加減、このままじゃいけないなって。『夢中になれるもの』を仕事で。一生かけて自分を磨いていくみないな気持ちに傾いていきました。夢中になっている自分が好きなんですよね」
しかし、20代は思い悩む時間だったと話してくれた。
「夢中になれるもの」を探す旅のはじまり
それから10年あまりが過ぎた30代半ば。横浜で港湾関係の会社員をしていたが退職。
その『夢中になれるもの』を探しに、家族3人で旅に出た。
「なんかもう窮屈だったんですよね。都市部で生まれ育って、神奈川の中で人が少ない地域に移り住んだりもしたんですが、やっぱり都市部は人口が多くて。
特に、三重県に行こうとかはなかったんです。とりあえずは四国の方まで行ってみようと。家族を連れてテントだけ持って西の方に向かいました」
四国よりずっと手前、旅の途中で出会った三重県に移住することになった理由は何だったのだろうか?
「たまたま通りかかった熊野で、この辺いいねとなって。海もなんですけど、山が凄かったんですよ。パワーが凄くて。」
紀伊山地、熊野の山々
そんな熊野の雄大な山々に魅了され、人との出会いにも恵まれ、旅は予想外に早い終わりを迎えた。
「ここにしようかって感じで、奥さんもそう言ってくれたんで。それで、そのまま住み着いちゃった感じです」
それでも、旅は終わらない
それからも、『夢中になれるもの』を探す旅はしばらく続いた。
最初に移住した場所は御浜町の隣、三重県熊野市の五郷(いさと)という山間の集落。
そしてマグロの養殖場で働き始める。
山に囲まれた熊野の里山
「最初は農業ってさほど考えてなくて、自給自足の暮らしみたいなものに憧れを抱いていた気がしますね。自分たちが食べるものを作りたいという気持ちの方が強くて」
そんな思いもあり、野菜を作って生計を立てられないかなと考え始めた矢先に、近所の人から就農希望者には補助金が出ると言う話を聞き、熊野市役所に話を聞きに行くことにした。
「何の計画もなく、『補助金が出るって聞いてきました』と。すると『そんな軽はずみな気持ちで来られると困ります』って言われて(苦笑)」
その後、何度か計画を作ってはやり直し、県の農業普及担当者との面談にようやく漕ぎつけた。しかし、
「福田さん、やる気はわかるんですけど、この計画ではちょっと厳しいですね」と、一刀両断されてしまった。
「その時果樹担当の方が同席していて、最後にその方が『福田さん、果樹やりませんか?みかん作りましょうよ』っておっしゃったんです。
福田さんのみかん農家への道を歩むきっかけの一言だった。
(2023年11月取材)